生きている意味
久しぶりの更新で、突然のご報告なのですが、今後ロマンス小説などの発売情報や感想などを書くことができなくなりました。かわって看病日記のようなものを書くかもしれません。
数日前に母が貧血で入院したのですが、検査の結果で癌だとわかりました。先生からいろんな写真や検査の数値を見せられながら宣告された余命は約一年です。
私を産んでくれたとき以来の人生たった二度目の入院で、検査の前に癌の場合自分自身に告知をすることを望むかという問いの承諾書に望むと書いていたので、母は私と弟とともに癌の告知を受けました。今更ながら、母に聞かせたくなかったです。普通なら配偶者である父が聞くべきなのでしょうが、情けないほどに腐った自己中心人間なので、いままで病院にすら来たことはなく、家に帰っても金の無心をしてくるばかりです。
聞かされるまでは、そこまで最悪の結果だとは思っていなくて、それでもなんとか数十分におよぶ長い説明に、泣きだしたりせずに応対できました。母も弟も平静を保ってその場は終わらせました。それでも、病室に入って無理に明るくしながら横になった母を一人にしてあげたかったのと、自分自身も受けた衝撃にうまく対処できなくて、弟と二人、お昼御飯を食べてくるねと、その場を逃げ出しました。
父がどうしようもない性質の人間だったせいか、彼に数日前までこき使われてきた母と私たち姉弟は、かなり密接な母子関係だと思います。特に私は、母と同様、父の商売でただでこき使われてきたこともあってか、結婚もできなかったかわりに、普通の母娘よりも24時間ほぼ同じ空間で過ごしてきました。もちろん弟も、母のことは常に気にしていて、子供の頃からお互いにぼろぼろ涙をこぼしながら意味もなく歩いたことは初めてでした。というよりも、物心ついて以来、弟が泣くのを見ること自体が初めてでした。
弟が涙声で「お母さんは嫌がるかもしれないけど、写真やビデオとりたい…」と何度も繰り返すのが悲しかったです。
そのあと、一時間ほどひたすらうろついて、病室に泣かずにもどると、隠していましたが母も泣いていたようでした。でも、母は私たちよりもずっと強くてとても静かでした。ただ、ぽつりと、父に脅迫されて自分の姉弟にした借金を、父に踏み倒されたせいで絶縁状態になっていることを悔やんでいたことがつらかったです。なんとか工面して、母の心が軽くなるようにしたいと思いました。
午後位から夜の八時くらいまで、毎日母の世話をしています。車いすでお手洗いや洗面所に連れていったり、体を拭くのや食事の手伝いをしたり…。おかしな話ですが、母の世話をすることは、どんなことでも苦になりません。今まで、ささいなことで口喧嘩をして、いやなことを言ったことが心底悔やまれます。母が家にいなくなって、家事を全てやるようになって、どれほど自分が母に依存して甘えていたかを思い知らされました。私はほんとに幼稚で甘ったれのだめな人間でした。
数日前まで母が乗り回していたスクーターを見るたびに、涙がでます。告知を受けたあと母が、お母さんのいらないものはみんな捨ててね、と言った姿がつらかったです。
結婚できず子供も産めず、社会に役立つスキルもない自分の生きている意味のようなものを考えることがよくありましたが、今日、母の看護にすべてかけられることが私の生まれてきた意味なのかもしれないと思いました。
今後、母の命を延ばすためならなんでもしようと思います。いくら一年だと言われても納得できません。十年以上延ばしてみせます。もう一度、母に家に元気に帰ってきてほしいです。
弟もすべてを母のために尽くすと言ってくれましたし、願掛けの意味もこめて大好きな酒を断つと言っていました。私も、持っている小説や漫画などを全て売り払い、自分自身も整理して母とともに生きなおすつもりで頑張るつもりです。すべて処分して部屋をきれいにして、母が安心して自宅療養できるようにしたいです。
明日は母が苺が食べたいと言ったので、食べさせてあげたいと思います。
こんなことになってはじめて実感しましたが、私は母を心から愛しています。
絶対に、あきらめません。ずっと、孤独と自由はセットだとか嘯いていましたが、私には常に愛がそばにありました。まだ遅くないので、大切にします。
いままで、このブログを読んでくだったみなさまに心から感謝いたします。
まったく方向の違うものになっていくかもしれませんが、みまもっていただけたらとてもうれしいです。
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